2012年9月2日日曜日

Adjudication CoreのDiversityの意義

僕は、Adjudication Coreに関して以下のような人がやるべきではないか、という考えを持っています。

1. モーションをつくったり、Adjudication Guidelineをつくったり、バブルラウンドをジャッジするという特性から、ディベートをある程度理解している人

2.その仕事量の多さ、連携のアクターの多さ等を考えると、運営経験がある人、もしくはそういった能力に長けている人

3.Under-representされている人たち。例えば、ジェンダー、地域、大学、学年等。(いわゆる、Diversity)


具体的には、1.ないし2.の人が2-3人を大学をばらしながら選び、3.の人を1-2人、というイメージです。

今のディベート界だと、2.もしくは3.が少し看過されているようにも思えます。特に深刻なのが3.のダイバーシティでしょう。

では、なぜダイバーシティが大事なのでしょうか。

いくつかの観点から正当化できます。

1.機会の平等
ACを恣意的に選ぶ制度ですと、運営団体の「好み」もしくは、強豪校ばかりが選ばれてしまう傾向があります。(そして、個人的にはACの好みのモーション等がでるためそれがまた強豪校を有利にしている側面も多少あると思います。)
ディベートを行っていて、コミュニティに属している以上、機会の平等は至極当然の権利なのではないでしょうか。

2.エジュケーショナル・イフェクト
いわゆる教育効果ですね。ACをやることで学ぶことが多いため、それがそのコミュニティに還元されます。僕自身も、ACを何回かやらせてもらいましたが、その度に学ぶことが多く、本当にやらせてもらってよかったと思っています。

3.ロールモデル
説明するまでもありませんが、「あんなふうになりたい」というような効果があります。がんばろうというモチベーションにもでてくるため、Under-representされているコミュニティの活性化にもつながります。

4.大会の質の向上
むしろ、色々な意見が入ることで満足度も高くなり、また色々なモーションも出てきたりするなどより大会の質も上がります。

5.Integration
ACが強い大学ばかりやっていて、そうじゃない大学は蚊帳の外というのは、結構な疎外感を生みます。いわゆる大会の「内輪」化であり、あんまり空気としてもよろしくなく、ディベート人口が減る理由にもなりえます。


このように考えると、実は【長期的にも】すごく効果がある制度のように思えます。

では、なぜ反対意見があるのでしょうか。みてみましょう。

よくある反論その1。 頑張った人可哀想
しかし、枠を、1人奪うわけじゃなくて、1人追加するわけだし、そんなに機会を奪わないのではないでしょうか。現状でもACに同大学は1人という暗黙の了解がありますし。

よくある反論その2。ディベートの質下がる!! 
一昔前のquotaのモーションでのequity violationもどきアーギュメントです。その1人だって未経験の人を呼ぶわけじゃないですし、それにむしろ、なかった視点を提供してくれることもあるだろうから、むしろあがるはずです。

って感じですね。

個人的な見解としては、とりあえず強い人ばっかり集めようというのは、相当安易だし、結局のところ強豪校や権力を持っている人たちの既得利益を守ろうとする構図でしかないような気がします。

別にACが、ディベートが下手な人がやれというわけではなく、何事もバランスが大事ですし、長期的な視野に基づいたAC選びをするといいんじゃないかなあという見解です。



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