2014年3月19日水曜日

ディベーターがジャッジに抱く疑問①「何でそこで見たの?」

いいジャッジというのは何なのでしょうか。
色々な定義があると思いますが、そのうちの一つに「説得性・納得性をディベーターに提供する」というのがあると思います。そう考えるとこれは逆に言うとディベーターがジャッジに対して疑問を抱かないことが必要になってくると思います。

したがって今回何回かにわたってディベーターがジャッジに対して抱く疑問に関して説明していこうかなと思います。

その一つとして「何でそこで見たの?」というのがあると思います。

お恥ずかしながら、僕は昔よくジャッジにかみついているタイプのディベーターだったと思っていて、最近ではましにはなったのかとは思うのですがそれでもまだ結構質問する方だと思っています。(噛み付いた皆さんすみません。。。)

その中で自分がどういうときに噛み付いているのかなぁと考えると、その一つに「なぜそこでみたのかなあ」という疑問がある時なように思えます。

おそらくなのですが、それは「ジャッジが最終的な判断を下した場所(特定のクラッシュ、分析等)」になぜ至ったのかという部分が明言化されていないからだと思います。

最終的にpracticalな部分でみたりとか、contextでみたりとか、engageの度合いでみたりとか、色々な判断があるんだと思います。それはディベートやジャッジにおいて様々でしょうし、色々な場合があると思います。

実際問題として、ジャッジはそういうことを無意識のうちに考えている場合もありますし、ディスカッションでかなり実は議論されたもののそれが単純にアウトプットに至っていない場合もあります。ただ、困るのはディベーターとしていきなりその思考プロセスを説明されずに「ここで見ました」のように言われると「えっ」と思うんです。

もう少し具体的な例をあげたいと思います。

例えば、3つくらいクラッシュがあって、(A, B,. C)Cが実はABにも繋がる前提であり、ディベートでもかなり時間がとられて説明されていた内容だったとします。そして、A,B単独では優劣をつけることが非常に困難だったとしましょう。

その場合、ジャッジがいきなり「Cの観点で・・・」と説明し始めると、ディベーターは「AとBはどこいったんだ!」「何でそこで見たの?」と思ってしまうんだなあと思います。特に、ディベーターが見ているディベートと、ジャッジが見ているディベートはぜんぜん印象がかわってくるので。

従ってその場合、A,Bではなぜ優劣がつかなかったのか、なぜCが重要なクラッシュになったのかというプロセスを説明することが重要なのかなと思います。


あとよくあるのが、「プリンシプルはプラクティカル依存だと思ってプラクティカルで見ました」という説明です。プリンシプルの種類にもよりますし多くのディベーターの説明のしかたによってぜんぜんかわってくるかもしれませんが、プリンシプル自体の説明の深さの説明で差がつくことや、またプラクティカルがよかったけどプリンシプルがないgovと、プリンシプルはよかったけどプラクティカルは分からなかったoppとかだと「プラクティカルでみました」というような判断は必ずしも公平に聞こえない可能性も出てきます。

別にプラクティカルでみようがプリンシプルでみようがいいのですが、なぜ「そこで見たのか」というプロセスがここでも重要な気がします。

結論:
若干抽象的な議論で申し訳ないのですが、言いたいこととして
「何でそこで見たの?」という疑問を解消するためには、
「なぜそこで見たのかという思考プロセスを明示する」ことを意識すると良いと思います。

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